2019年5月15日水曜日

後世に残せるもの。

「昔のモノの方が良い」「あの頃は良かった」「今のモノは味気ない」
特に年齢の高い方々、どうかこの言葉で片付けるのは無しで読んで頂きたい(笑)

現行だって色々と今を読み取ってデザインされてはいると思う。
「どれ観ても同じにしか見えない」
うん、正直ワタシもそう思うフシは多々ございます(苦笑)
ですがこれって今時の大勢さんのアイドルグループの娘観て
どれがどれだか見分けつかないのと同じです。
興味ないから見分けつかないんだと思うのです。
ファンや若い子らはしっかり見分けついてるんですからw

我々世代が「あの頃のモノは良かった」って言えるのは、
我々が多感だった若い時にそれらを羨望の眼差しで見て来たからというのも
要因としては大きいんだと思うのです。
だから今のモノだって、今の若い子らが多感な時期にみている事が同じであれば、
それなりに数十年も経てば今の我々が感じている感覚と同じ匂いで
それらを観る日が来るんだと思うのです。多分(笑)


で、ここからが本題。
とはいえ現行の車(ここは例として車にします)、
例えば外装のヘッドライトとか専用設計されていて、
それがデザインの一部として完全に取り込まれています。

これは言い換えればメーカーが部品の供給を止めた瞬間から
もう入手困難という事にもなります。
テールランプとかも昔のは切れてたとしてもほぼ電球のフィラメントです。
自分で交換すれば数百円です。
でも現行はLEDとかなので、基板やられるとASSY交換になっちゃいます。
数万円です。
エコなんですかね?それw
外装もプラスチックパーツが豊富に使用されており、
これらもレストアの視点から見るとどんどん程度良好な個体が減り、
じきに入手不可能になるのは間違いないです。
しかもプラスチックは一番再生が難しい素材ですし。

Eg内部においてもハイブリッド等は蓄電池の要素もかなり大きくなり、
これらも劣化すれば交換となるでしょうが、
メーカーの供給が終わればやはり入手困難になっていくと思います。


ウチの廃エースなんかはインチ規格品の世界共通のヘッドライトですから、
この規格で造られた製品の多さを考えても、
今後これが入手不可能になる事はまずないでしょう。
ワタシは廃エース大好きで乗ってますが、
まぁどー考えてもアルファとかハコスカとか
デトマソみたいな名車というジャンルではありませんし、
だとすれば自分が子供だった時にいっぱい走ってた郷愁で可愛がっているようなモンです。
これが今の若い子らが現行プリウスとかを郷愁で手に入れようと将来考えたとしても、
もうそれは無理な時代になっちゃってる気がするのです。

「昔のモノの方が良い」「あの頃は良かった」「今のモノは味気ない」

ワタシは今の子らの感性にもかかわって来るかもしれない
この暴力的な言い回しは絶対したくないです。
でも、現行の特に4輪。
メーカー自らデジカメやスマホ、PCなんかと同じ領域の
「新しい方がスペック高いの当たり前だし良いに決まってる」
みたいな領域に車を誘導しちゃってるみたいな感じがして、
「製品」だった領域のものが「商品」に成り下がってしまっている様な気がして、
それだけは残念でなりません。
機種変っすよね、もう。

何でいきなりこんな事書いてるかと言うと、
今現在80年代のSSのばっきり割れたカウルの補修再生の作業してて、
「これから先入庫してくる外装がこんなのだらけになったら
割に合わなさ過ぎてうんざりだな。
ペインター辞めてハバネロ農家でもやるか」
と、ちょっと考えながらプラスチックを頑張ってくっつけているからです。
そして何でハバネロ農家なんだ?って言うと、
育てて味見しなくていいからです。
味見したら死んじゃいますからwww




で、無責任な揶揄したハバネロ農家の皆様には
お詫び申し上げますw

合祀(2016年転載記事)

この投稿は「靖国神社」に関するものになりますので、
思想的に気分を害する方はスルーしてください。
昨年叔父も亡くなり、沖縄の実家が完全に空き家になってしまったので、
家が傷む位ならばと借家とする事になり、家財道具一式の整理を終えました。

おじぃは6人兄弟の一番上の長男で、戦争で半分の兄弟を亡くしました。
2人はまだ幼かった為非戦闘員として空襲や艦砲射撃で亡くなりましたが、
3番目の弟はおじぃが出兵中に少年兵として志願して南方戦線で戦死、
遺骨も戻らない状態であったと訊いています。
おじぃも弟が出兵していた事は終戦後日本に引き上げて初めて知ったとも訊かされました。


ワタシが20歳過ぎた頃に一度だけおじぃと呑みながら訊いた事がありました。
「靖国への合祀と昇殿参拝の手紙、貰ったんだけど
もうその時は子供(まぁワタシのおふくろですね)育てるのいっぱいいっぱいで
行く機会なくてさぁ、あの手紙もどこに仕舞ったかねぇ」

それが今回の家財一式の整理で出て来た次第です。
封筒に鉛筆で書かれた情報は多分おばぁが書いたのでしょう。
おじぃは両親が凄く早く亡くなり、
まともに学校出る前に5人の兄弟食わせる為に仕事に就き戦地へと赴きましたから、
かろうじてカタカナ読める感じで文字が読めない・書けない人でしたから。

おじぃの弟さん。無論お会いした事なぞありません。
おじぃより若くして戦死したので独身、というより少年兵でしたから。



おじぃが命を繋いでくれたからワタシがおり、ここに家族がいる。
そして弟さんは命のバトンを達し得なかった。



先の大戦の是非は今問いたくない、
というよりここで問う必要もないかと思います。
あるのは多くの命の犠牲があって、
戦後70年以上こうして平和を続けていられる事実がある。
先人に感謝の意を込める気持ちで靖国へと
この弟さんの合祀及び昇殿の手紙をお持ちしたいと考えております。

ワタシにとっての靖国は肯定でも否定でもございません。
美化もしないかわりに卑下もしません。
戦没者の眠る場所に感謝の意を伝えに行く、そういう場所です。

靖国に問い合わせたところ、最近ではめっきり減りましたが
こういう仕舞ってあって後に出て来たというケースは遠方ではあるらしく、
無論永久に受け入れますし合祀・昇殿は勿論可能というお答えを戴きました。
とはいえ、平成のこのご時世ではもう滅多に無いケースだとも思います。
消えていく昭和の足跡という面もありますので、
ここに書き残させて戴いた次第です。


拝啓、金城睦栄様。
ワタシは貴殿の長男、金城睦正の孫である田村宗正と申します。
6月のショーが終わった辺りで時間がとれます故、
遅ればせながら少なからず血縁のあるワタシがお連れ致します。
「何だ、俺の血縁の子孫は今こんなけったいな仕事して暮らしてるのか」
と揶揄しながら暫し見守って戴ければ嬉しい限り、でございます(笑)

もう少々縁もゆかりも無い場所・立川ではありますがここでお待ちくださいませ。





2019年5月3日金曜日

習慣。

祝日続き過ぎて、
このままだとジャイロに日の丸ぶっ刺すの日常になっちゃいそうだ注意報。



閃光少女。

日中好天から一転して夕方からずっと雨模様だった令和初日。
チャリで部活に出かけた娘がびっちゃびちゃになってチャリで帰って来た。
前も後ろもフェンダーの無いコースターブレーキのチャリで(笑)

「んだお前、チャリ学校に置いて電車で帰ってくりゃいいのに」
「どうせ傘無いからさ駅から濡れるじゃん。
で、どうせ濡れるならちょいよりずぶ濡れぢゃね?へへへ」
何ちゅう男前な娘なんだw


でもさ、この令和という時代はこの子らの時代、なんだよな。
令和の初日にワタシの10代前半の頃のヒーローだった遠藤ミチロウ氏が膵臓がんで亡くなった。
S.O.B.のTOTTSUANも、スーパージャンキーモンキーの623も、DOOMの諸田さんも逝った。
平成は終った。
昭和に生まれたワタシも平成という時代は存分に生きられたと思っている。
満足できる駆け抜け方出来たと思っている。
まぁ毎日地金叩いてパテ砥いでシンナー吸ってる生活の日々だがな(苦笑)

世界中の子供たちよ、令和を自分たちの思うように思い切り生きろよ。
お前らにはその権利があるんだぜ。
あ、とはいってもワシはまだ死ぬ予定は無いがのwww



AJS。

 下地それなりに凸凹ではあるが
この時代特有の地金の深い虫食い錆は殆どなし。
何度も塗り重ねられていたが故の副産物。
そのかわり剥離は手間がかかる。




当時のライン図みながら再現。
勿論ラインは筆引き、その上からクリア処理。
こんな太いライン久々だったのでむしろ緊張した(苦笑)

左側後ろ下部、リザーブ表記のトランスファーもインストール済。
これをウレタンで包むが為に時間要しました。
S様、再三のご用命ありがとうございました。

これにて本年1月入庫が全て完了。
このままの勢いで2月入庫をGW明けには仕上げたいっす。

レストアは剥離して地金で判断しないとその先のプランが構築できないので
やはり少々お時間戴く事になります。
従って入庫予定も後ろへとずれてしまう事が多くなります。
お待たせ戴いている方々の外装も全てに丹精込めて作業します故、
何卒御理解の程お願い申し上げます。

チューハイ&スニッカーズ。



Fin.