2019年5月15日水曜日

合祀(2016年転載記事)

この投稿は「靖国神社」に関するものになりますので、
思想的に気分を害する方はスルーしてください。
昨年叔父も亡くなり、沖縄の実家が完全に空き家になってしまったので、
家が傷む位ならばと借家とする事になり、家財道具一式の整理を終えました。

おじぃは6人兄弟の一番上の長男で、戦争で半分の兄弟を亡くしました。
2人はまだ幼かった為非戦闘員として空襲や艦砲射撃で亡くなりましたが、
3番目の弟はおじぃが出兵中に少年兵として志願して南方戦線で戦死、
遺骨も戻らない状態であったと訊いています。
おじぃも弟が出兵していた事は終戦後日本に引き上げて初めて知ったとも訊かされました。


ワタシが20歳過ぎた頃に一度だけおじぃと呑みながら訊いた事がありました。
「靖国への合祀と昇殿参拝の手紙、貰ったんだけど
もうその時は子供(まぁワタシのおふくろですね)育てるのいっぱいいっぱいで
行く機会なくてさぁ、あの手紙もどこに仕舞ったかねぇ」

それが今回の家財一式の整理で出て来た次第です。
封筒に鉛筆で書かれた情報は多分おばぁが書いたのでしょう。
おじぃは両親が凄く早く亡くなり、
まともに学校出る前に5人の兄弟食わせる為に仕事に就き戦地へと赴きましたから、
かろうじてカタカナ読める感じで文字が読めない・書けない人でしたから。

おじぃの弟さん。無論お会いした事なぞありません。
おじぃより若くして戦死したので独身、というより少年兵でしたから。



おじぃが命を繋いでくれたからワタシがおり、ここに家族がいる。
そして弟さんは命のバトンを達し得なかった。



先の大戦の是非は今問いたくない、
というよりここで問う必要もないかと思います。
あるのは多くの命の犠牲があって、
戦後70年以上こうして平和を続けていられる事実がある。
先人に感謝の意を込める気持ちで靖国へと
この弟さんの合祀及び昇殿の手紙をお持ちしたいと考えております。

ワタシにとっての靖国は肯定でも否定でもございません。
美化もしないかわりに卑下もしません。
戦没者の眠る場所に感謝の意を伝えに行く、そういう場所です。

靖国に問い合わせたところ、最近ではめっきり減りましたが
こういう仕舞ってあって後に出て来たというケースは遠方ではあるらしく、
無論永久に受け入れますし合祀・昇殿は勿論可能というお答えを戴きました。
とはいえ、平成のこのご時世ではもう滅多に無いケースだとも思います。
消えていく昭和の足跡という面もありますので、
ここに書き残させて戴いた次第です。


拝啓、金城睦栄様。
ワタシは貴殿の長男、金城睦正の孫である田村宗正と申します。
6月のショーが終わった辺りで時間がとれます故、
遅ればせながら少なからず血縁のあるワタシがお連れ致します。
「何だ、俺の血縁の子孫は今こんなけったいな仕事して暮らしてるのか」
と揶揄しながら暫し見守って戴ければ嬉しい限り、でございます(笑)

もう少々縁もゆかりも無い場所・立川ではありますがここでお待ちくださいませ。