2018年2月12日月曜日

実家。

10年ぶりに訪れたコザの実家。




実家の横のスージ。


 若き日のおじぃが掘り当てた井戸。
どんなに水不足な時でも枯れる事の無かったおじぃの井戸。





10年前の同じ場所の光景。
大樹はまだ小学生だったんだな。


 ワタシの心情を汲んでか
この滞在の6日間はほぼ曇天だった。

 このスージ抜ければ下の大通りにはすぐ出れた。
ドブの蓋が微妙にガタガタで
歩くと木琴みたいな音奏でたの思い出す。


 このスージに玄関構える家だってある。
そう、スージは立派な現役の生活道路なのだ。


 屋上から眺めるコザ。


 あのオレンジの幌のゲーセン喫茶、よく行ったな。
スペースインベーダー10円でやれたw
スペースインベーダーって実は結構難しいんだよな、すぐ死ぬ。
でも10円だとやっちゃうんだよね(笑)
ウチの店の前にも子供いっぱいの全盛期はゲーム機置いてあった。
1機だけだったから1年ごとにゲーム入れ替えてた。
ディグダグとかペンゴとかゼビウスとかギャラクシアンとかね。
懐かしいね。
あの潰れたゲーセン喫茶のすぐ裏側が吉原ね。
夜こっから眺めると街がピンク色なの(笑)



 屋上で写真撮り終えて降りてきたら
「えー、あんた今勝手に上登っただろ」と住人が出てきた。
そう、今は実家も裏の建物も全部借家にしてしまってるので
住人居たんだった、忘れてた。
「すんません、そこの貸主の金城の孫です」と事情を説明。
「あーそーねー。それは寂しいだろうねー」
「あと10分ほど色々撮らせてもらっていいですか?」
「いいよー、ちゃんと思い出いっぱい撮ればいいさー」
沖縄の人はちゃんと話すと大体信じてフレンドリーになってくれる。
これが全部ウソだったらどーするんだろ、とも思ってしまうが
そんな下衆な考え思いつくのも東京の者だからかもしれない(苦笑)
まぁそんなワケで金髪のにぃにぃ(兄ちゃん)の許可ももらった。
多分ワタシより年下だと思うけど
向こうは絶対ワタシを若輩者だと思ってるだろうから気にしない事にするw

 こっちは行き止まりのスージ。



 この坂、ガキの頃スケボーで超ダウンヒルして遊んでた。
下から車来ないか交代で見張り付けて下りきるだけの遊び。

 でも当時側溝のドブに蓋無かったから
数人がアンコントロールになって嵌ってたw
勿論めちゃくちゃに大怪我したからスケボー禁止になったwww

 ウチの店の前からスタートすると結構なスピードになるのよね。
トラック緩いとバイクで言うところのウォブル起きてクラッシュするの。
でもトラック締め過ぎると操舵利かなくなってクラッシュするの。
要はガキだったからヴァカだったのねwww


 下ったところにある怪しいスナックビルは相変わらず健在。

 道挟んで向かいが赤線地帯の吉原だったけど
ここはまぁスナックだったみたいね。


 昔は栄えてたからここも商店だった。
ま、ウチのライバル店だったって事よね(笑)
でもそこも潰れてた。合掌。


 すぐ隣のお宮さん。

神様の祀られてるこの場所で容赦なく野球やってた。
めっちゃ柵にボールぶつけまくってた。
大人になって多分ここに来るの最後だろうから
ちゃんと謝っておいた。
憶えていらっしゃいますか?
40年前ここで野球しまくってたサウスポーのクソガキです。
すんませんでしたw


 登りきったところの商店はかろうじて開いていた。
陳列棚見ると虫の息っぽいけど。


 過疎化凄いんだろうな、人がほとんど歩いてない。


 地元城前町の公民館。
夏になると青年団がエイサーの練習しててさ。
カッコ良かったよなぁ。
今考えると自分がドラム選んだ最初の理由ってエイサーの太鼓だったのかもなぁ。


 ごえく、と読みます。




 越来の丘から見下ろすのは安慶田(あげだ)の町並み。






 ここを去る前にもう一度実家観に行って気付いた。
誰だろ、シャッターにこれ書いたの。


オリオンビール呑んでる在りし日のワタシと

カミさんと娘の響、そしてワタシの叔母。店の中におばぁが座ってる。

ワタシと実弟とおふくろ、そして更に小さい頃の響。

もう開く事は無いシャッターだけど
ワタシや家族の中にはいっぱいの思い出が詰まっている。