2023年9月22日金曜日

Downtown。

こないだ多摩の陸事行くのにどこかショートカットないかと
ジャイロ乗って近隣の裏道をトコトコ散策した。
まぁ元から陸事超近いんだけど。

するとこんな近場にトマソン(無用建築物)を発見する。
無用橋だこれ。

中央線の真下の忘れられたような空間にひっそりと。

意外な物見つけて異様にテンション上がる。
私の心は実に安いw

「はごろもこばし」だそうな。

昭和29年8月建設とある。


気になってちょっと調べたら、
大正から昭和初期の頃の立川飛行場時代、
飛行場があまりにも平地で雨が降ると水が捌けずどえらいこっちゃになり、
立川駅北口が雨水で水浸しになることが頻繁に発生し、
それで掘った人造の河川「緑川」の名残だそうな。
戦後に米軍が飛行場接収して大幅に工事進めて
多摩川まで開通させたそうで。

「立飛」は当初は東京で最初の飛行場で
大阪東京定期航空便を開通させた日本初の飛行場だったらしい。
そうなんだ、ここ立川も「空の街」だったんだね。

昭和初期に民間の空港を羽田に明け渡し、
その後は軍需産業(航空機製造)の一大拠点となり、
戦後にGHQに接収されて米軍基地に、
そのアメリカが朝鮮戦争にステージを変えた際
滑走路の距離がもう足りない時代となってしまい
滑走路延長で北の地域「砂川」の住民と激しく衝突。
米軍は立川の滑走路延長を諦めて福生へと移動したのよね。
その福生移設の前準備で一度朝霞に仮移転してるのよ。
で、その朝霞が今の自衛隊の練馬駐屯地。
こちらも今は自衛隊の立川駐屯地になってるのよね。


「南にトマソンあるって事は北口側にもあるんじゃね?」で
翌週そっちトコトコ散策したらあった。
ビンゴ。




川開通させて数十年後には
上が埋め立てられた通称暗渠(あんきょ)になって
橋としての役目を終えてこうしてひっそり佇んでいるらしい。

当時のそれを克明に記したサイトも発見。
「あの通りの下に緑川あるんだ、あの道暗渠だったのか」
とか色々驚く。
立川の貴重なアーカイブスなので画像拝借させて戴きました。

しかしあれだね、
私は意図せず何故だか米軍と縁が切れない人生のようで。
沖縄の嘉手納・一時間借りして営んでいた朝霞、
そして工房構えたここ立川。

地元民以外ほぼ興味ないとは思いますけども、
無用建築物には背景に歴史がある。
だから廃墟やトマソンは面白いんだ。