2022年2月19日土曜日

ホログラム。

とある日、久々にウチに顔出してくれた青年。
もうかれこれ高校時代から顔出してくれてて、
気付けば10年以上顔出してくれてる。
そんな彼の1st Tattooを見せてくれた。
彼らしい他人に威圧感与えない柄で微笑んでしまったよw


「えぇっ!?Muneさんって腕以外入ってないんすか!?」
うん、そだよ。

バイク関連で飯食うって覚悟した時の右腕のマン島のトリスキールと、
息子も娘もそれぞれの道を歩むが当たり前であり、
最後の最後に添い遂げてくれるのはカミさんなんだよな、って意味で
左腕に刻んだアフリカンアートの私とカミさんのモチーフ。
私はTattooそんだけだよ。

入れ始めたら増えていく人の気持ちも凄く理解るんだ。
どうせ1つ入れただけでも社会的に制約が生じていくのであれば
あとはどんだけ彫ってもまぁ同じだものね。

社会が受け入れてくれないものであるのも事実だ。
むしろイリーガルであるから故の皮肉にも「華」もあると思う。
これがリーガルになったら多分意味を失うと思う。
流行り廃りで気軽に替えられるシールでいいと思う。
刻むからこその普通の人にはわからない意味があると思う。
そしてその意味は普通の人は理解しなくていいとも思う。

自分がよく見える肘前に彫ったのは
他でもない自分自身に見せる為。
これで生きて行こうと決めた「そこ」に迷いや弱さが出た時に
自分で袖捲って観る事で奮起する為。
だからもう私にはこれ以上の刺青は要らないのね。
「そんなもの彫らなくても確認する術あるんじゃね?」
でしょうね、確実にありますよね。
ただ私はこれを選んだ、それだけの事です。

色々言う人はこれからも減らないだろうね。
むしろその方が健全な社会かもしれないとも思うよ。
だからこそ、入れたのであればそれが君のアイデンティティだから
この先これが要因で心が折れないでいてね。

最後に自分を信じてあげられるのは外でもない自分、だよ。
百の人に認めてもらえなくとも
自分の周りに自分を信じてくれる人がいるのであれば、
それでいいんだよ。