2019年4月25日木曜日

モノクローム。


年齢がいくにつれ、モノクロームの写真が好きになっていった。
その理由が自分でも理解らず、何となく認識していたのだが、最近一つの事に気付いた。
モノクロームのそれは「色」が存在していないので、
目に入る情報の全てが自分にとって自由であるものだからだ。

職業病みたいなもので、色が情報として目に入って来ると
どうしても色を造る工程を頭の中でしてしまうのだ。
赤味の青とか黄色みの赤とか、多重な複合するグラデーションのピンクだとか、
要はしなくてもいい「調色」をすぐにしてしまうから少し疲れるのだ。

モノクロームにはその向こうが発してワタシに調色を強いてくる「色」が無いから、
ワタシが純粋に思い描いた自由な「色」で彩色していいから好きなのかもしれない。

なのにこんなワタシをはっとさせるものは
やっぱり怒涛の色の洪水みたいな写真だったりもする。

ワタシにとってカラーフォトは
再現しなきゃいけないレストアペイント的なフィルターで、
モノクロームは自由に彩色出来るカスタムペイント的なフィルターなのかもしれないね。
誰も「調色しろ」と強要してないんだけどねw

濃淡・濁りと透明度・透かし・煌めき・漆黒・
時には顔料ではなくフレークや箔や夜行貝といった自然の産物。
色に疲れてるクセに、やっぱり色に惹かれている(笑)


なんでいきなりこんな事書いてるかというと、
自分のドカ観て「何で俺こんなシャーマニズム全開のペイントしたんだ?」
って自問自答してたら、
ヨシダナギ氏のアフリカの写真に改めてその色彩にうっとりして、
「いいんだ、俺はこれでいいんだ」って自分に言い聞かせてるからだw





色よりも被写体に目が奪われたあなた、
健全ですwww