※これは2007年に私が書いた過去のコラムです。
HPリニューアルで前にあった「コラム」のページを廃止しましたが、
方々よりこのコラムの内容が事故への啓蒙として無くなるのは惜しい、と
そんなお声を数多く戴きましたので、
稚拙ながらも改めてここにアーカイブスとして残しておきます。
あ、ごめんなさい。
タイムリーに起こったコトではないです。
夜中に一人で仕事をしていて、
この時期の外の「雨音」を黙々と聴いていると
過去に遭遇した事故現場を丁度梅雨時になると思い出してしまいます。
だからかなり昔の話しです。
事故がどれほど生々しいものなのか、見たままを書きますので、
かなり衝撃があると思われますので、
苦手な方はスルーしてください。
昔、港区で老人介護の仕事をしていた時の話です。
(こんなワタシですが、昔はこんな仕事にも従事していたのですよwww)
もう10年以上は経ちます。
大雨の降る六本木を送迎車に乗って走っておりました。
そして目の前で一台のオートバイと乗用車の事故を目撃しました。
バイク便の彼は一番左の車線を走っていました。
目の前にトラックが駐車していたので彼は右の車線へ移動しようとしていました。
丁度その時更に奥の3車線目から同じ2車線目へと移動しつつある乗用車がいました。
乗用車は移動を先に済ませたバイクに全く気付いていなかったようで、
そのオートバイに横からぶつかりました。
接触されたオートバイは再び元の車線まで戻されてしまい、
駐車中のトラックの荷台に体ごと突っ込むという最悪の事態になってしまいました。
すぐ後ろを走行していたワタシは即座に車を停め、
激しく荷台に衝突したオートバイのライダーの安否確認をしに降りていきました。
丁度同じく事故を目撃したカブに乗って営業周り途中な様相のおじさんも停まってくれました。
接触を起こしたセダンはトラックの前に停車しました。
接触したセダンを見てとても嫌な予感がしました。
外交官ナンバーでした。
確かに六本木・麻布界隈ではよく見られる車輌ですが、
これと絡んだ事故というのは非常に厄介です。
カブのおじさんも
「エラい相手とやっちゃったな」
と同意見でした。
案の定降りてきたのは白人男性でした。
事故を起こした彼は。
激しくうめいてました。
口から血を激しく吹き出しながら、言葉にはなっていない「何か」を叫んでいました。
「動かないで!!今救急車呼んだから!!もう少し頑張れ!!」
ワタシは必死で彼に呼びかけました。
カブおじさんはその間降りしきり視界の悪い道路の交通誘導をしてくださっておりました。
しかし、当事者の白人は車へと戻ってしまいました。
バイク便の彼はうめき続けました。
事故の様子から見て、バイクはトラックの荷台の下に潜り込んだので
あまり被害は無い様子でした。
しかし、乗っていた彼は皮肉にも荷台に真っ向から直撃してしまい、
更には大雨でブレーキもさほど効かなかったようで、
相当な力が彼の内臓を破壊している様子が伺えました。
おびただしい量の血を彼は口から吹き続けていました。
「キミ、港区の車輌だろ!!車内に何か救急箱とか積んでないのか!」
カブのおじさんに言われましたが、
こんな相当なアクシデントに対応し得るものは勿論積んではいません。
「ちきしょう!あの外人の野郎!車の中で携帯で電話してやがる!!」
ワタシには見えない位置、カブおじさんには見えるようです。
そしてそのふてぶてしい態度に怒りを露わにしていました。
もう一台、違う会社のバイク便でしたが停まってくれて、
雨の中一緒に対応してくれました。
しかし、彼の吐き続ける血は止まることはなく、
どろりとした血の川を形成し、ゆっくりと雨水と共に道端の排水溝へと流れていきます。
灰白色のアスファルト。激しく降りしきる雨。
そしてまるで「生命」というものを誇示するかのようにどろりと流れる
溶岩のような「血の川」の流れと
それをゆっくりと地中へと飲み込み続ける排水溝。
あまりにも想像を絶する光景でした。
同じバイク乗りだから、で停まったものの、
この光景を目の当たりにして
停まってしまった自分を後悔すらしていました。
遂には彼の両耳からも出血が始まりました。
「動かないで!!とにかく頑張るんだ!!」
必死でバイク便の方と叫び続けましたが、
その声も既に彼には届いていないのが薄々気付いていました。
耳からの出血は頭部及び脳に甚大な被害がある証拠で
この時点でほぼ助からない、と
医学的に知識のあった側面の「私」も
動物的直感の側面の「私」も認識してしまいました。
もうどんなに彼を励まし続けても、
もう彼は助かる事はない、と。
道挟んで向かいだったので先に警察がきました。
ここで「冗談だろ?」と思ったんですが、
警官は必死で呼びかけしてる最中のワタシ達から事情聴取しようとしたんです。
「バカかテメェらは!先に救急車搬送だろが!!!」
この時も素面(シラフ)に戻してくれたのはカブおじさんでした。
もう彼の体には血液があまり残っていないのでしょう。
先程まで「生」を誇示していた、
どろりと流れていた「血の川」の流れが止まりました。
彼の口からは血の混じった泡が代わりに吹き出されていました。
苦しいのでしょう。
激痛なのでしょう。
寒いのでしょう。
不安なのでしょう。
彼はうめきながらこちらに手を伸ばしています。
苦しいのを何とかして欲しい手。
激痛を和らげて欲しい手。
暖めて欲しいと伸ばされた手。
不安から開放されたくて必死で伸ばしてきた手。
握れませんでした。
重すぎて。
ワタシにはすぐには握れませんでした。
隣にいたバイク便のお兄ちゃんも同様で、
同じくこの重すぎる「救いの手」の前で
何も出来ないでいました。
「どっちか代われ!!」
交通誘導していたカブおじさんが叫びました。
バイク便のお兄ちゃんが誘導を警官と共に代わって、
おじさんはこの「救いの手」を躊躇することなく握りしめました。
「大丈夫だ!聴こえるか!!
もうじき救急車が来る!!聴こえるか!!頑張れ!!大丈夫だ!!」
おじさんも理解っていたはずです。
これはもう助からない、と。
それでもおじさんは握りしめました。
「大丈夫だ!!」
と声を掛けました。
大事なのはその先に残される私達の心の中のことではなく、
今まさに終わろうとしている生命に暖かさを少しでも手助けしてやる事。
おじさんは実践していました。
ワタシの両頬から涙が溢れているのが理解りました。
大雨の中ズブ濡れだったのですが、あれは涙だったと思います。
そして伸ばされた手を握りしめるおじさんの両頬にも涙が溢れていたように思います。
救急車が到着して、搬送が終わった時。
あの時感じた思い。
翌日同じ場所にいっぱいの花束が置いてあった時の思い。
向かいの警察署の
「昨日の死亡事故 1」
という、統計値の一つを見た時の思い。
搬送が終了した時にやっと車から降りてきて、
警察官に開口一番「外交官特権」を持ちかけた白人を殴り倒したカブおじさん。
後日、ワタシはこのカブおじさんの裁判に「参考人」として出廷しました。
結局おじさんは示談成立で解放されました。
おじさんは小さな町工場の重役さんで、
現在は関西地方に新しく建てた工場の代表として赴いていて久しく会っておりませんが、
この事件以降交流を続けさせていただいております。
おじさんとの出会いは「負」の産物ではありますが、
バイク乗りとして、いや、人として躊躇しない姿勢を勉強させて頂きました。
その後亡くなった彼のいたバイク便会社の同僚さん達がワタシやおじさんを訪れてきて、
「彼の最後を教えてください」
で、伝えた事。
家族が来て
「最後を見届けてくれてありがとう」
と言われた事。
事故、というものは一瞬で色々なものを失い、
色々なものを周囲の人間に投げかけ、
そのまま継続して生き続ける人々に深い「傷」を残していきます。
ワタシの場合、幸いな事に雨という状況が
「血の臭い」という嗅覚へのトラウマはさえぎってくれましたが、
灰白色のアスファルトとあの血のコントラストという「視覚」と
耳鳴りのようにただただ鳴り続ける雨音 という「聴覚」、
その「景色」「音」の中で何も出来ずに佇んでいただけの無力感、
全身ずぶ濡れだったのに激しく乾いた喉の「感覚」、
なんだかそんなトラウマは残ってしまい、
五感のうちの一つをさえぎってくれた雨に感謝もありますが、
雨音だけのシチュエーション、というのに風情は感じられなくなってしまいました。
沖縄の叔父も、ワタシが高校時代に事故で亡くなりました。
飲みに行った帰りに猛スピードの車にはねられて帰らぬ人となってしまいました。
酔っていたでしょうし、夜中とはいえ横断歩道ではない所を横切った
叔父にも恐らく判断ミスがあったと思います。
そして加害者も夜中とはいえ100kmをゆうに超えるスピードで走っていました。
双方共々の判断ミスが一瞬で悲劇に変わる瞬間でした。
夜明けに亡くなった連絡を東京で受け、
その朝のどこまでも重苦しい空気の匂いと
葬儀の際、一切無言だった「おじぃ」が火葬の直前の最後の別れの際に
ただ一言叔父の名前を一度だけ呼んだあの光景は忘れられません。
ワタシも大きな事故を2度ほど経験しています。
どうしても起こらざるを得ないものではあるのも理解ってますが、
どうか皆さん、くれぐれも気をつけてください。
勿論「事故」というものは自分だけではどうにもならない要因もあります。
でも、みなさんがこれだけ愛してやまないモーターサイクル(或いは四輪もです)、
残された大切な人たちが、
これらを見たくも無いくらいに憎悪をいだかせないように、
気持ちだけはちゃんと締めて路上へと出てください。
そして事故を目撃した時は、
助けてあげてください。
皆さんにとっては日本の四季を感じる事の出来る
風情のある「雨音」で
これからもありますように。
MESSAGE FROM:MUNE 2007