2018年2月3日土曜日

亀甲墓整理(閲覧注意)。

注意
この投稿にはワタシのご先祖様の遺骨が掲載されております。
ワタシはこれを土葬文化の琉球と現在の日本のしきたりとの
貴重なアーカイブスとして掲載せんと思ってそうしておりますが
苦手な方はこの投稿はスルーされる事をお勧めします。

「これ、触っても大丈夫ですかね?」
何故だかそんな言葉をふと言ってしまった。
「えぇ、大丈夫ですよ。考え方によってはご子孫と直に触れ合えるんですから
こちらのご先祖様もそれは嬉しいと思いますよ」

後述しますが、火葬場の人に言われて物凄く感銘受けた言葉です。
この言葉戴いて、敢えて全ての写真を掲載しようと思った次第です。




 いよいよお墓を開けて整理する日が来ました。


 猫には墓とかどーでも良くて
丁度良い雨宿り場所のようです。

 ウチの金城家のお墓に向かうすがらにある超立派な亀甲墓。

 「人の墓撮影とかどーなんですか?」って声聞こえてきそうだけど、
「じゃあクフ王の墓とかどーなんだよ」ってワタシは言い返しますね。

 雨模様だったので葬儀社の方がテント張ってくださっておりました。
昨日の今日親族が亡くなったシチュエーションではないので我々も平服。
そして物悲しい空気でもない。
何と言うか、凄く純粋にご先祖様連れていきますか、という心境。
理解ってもらいにくそうだけど、そんな心持ち。


 そして住職さんも来られました。

 沖縄ではユタという文化がまだ根強く残ってます。
こっちの言い方に代えれば「イタコ」ですかね。
これが今ではまぁまぁ悪しきカルチャーになってるフシもあって、
ユタによっては葬式のしきたりがわやくちゃな事になったりします。
おじきの時はユタだったのですが不信感いっぱいになったので
おじぃの時からこちらの住職さんにお願いしておりました。

 「では開けますよー」
こちらの葬儀社の方、色々とそういうカルチャーに関して精通されている方で
お話訊いてて大変面白かったです。
葬儀屋には葬儀屋のプライドがある。
世界の葬儀を色々と勉強されている姿勢にちょっと感服しました。


 中です。
手前がワタシが高校時代に交通事故で亡くなったおじき。
だからおじぃよりおじきの方が先に埋葬されたんですね。
そう言えばワタシ、おじきの年齢とっくに上回りました(苦笑)
右後方が天寿全うしたおじぃですね。
その後ろのやたら大きな壺が土葬時代のご先祖様です。

 ゆっくり慎重に取り出されていきます。

 おじき、お久しぶり。

 おじぃもお久しぶりだねー。

 念の為今一度確認。

 で、遂にデカいご先祖様が現れます。

 ど、どうも。子孫です。


 壺の蓋に故人の名前と没年日が書かれているので確認。

 リアルで土葬文化だった事が理解ります。
お初にお目にかかります、ご先祖様。

 でね、この入り口入ってすぐの砂利の場所。
土葬時代にはここに先ず安置してしゃれこうべさんになるのを待ちます。
住職さん曰く、「13回忌で親族で表に出すのさー」
13回忌で墓開けてすっかりしゃれこうべさんになった故人を表に出して
綺麗にお骨洗って皆で墓の前で飯食って壺に入れて
そこでいよいよ納骨、というのがしきたりだったようです。
ちょっとダイレクトな言い方すればこの砂利が「汁場」だったんですね。
腐敗した肉体が溶けて分解されていく場所。
分解の手助けをする虫が墓の中と外を往来できるようになってる場所。
でね、おじきの葬儀の時は地元のユタが来たんですが、
このユタがおじきの壺をそこに置く様にワタシに命じたんですわ。
あ、墓の中には親族で一番若い男の青年が入るのがしきたりなんで
ワタシが長男って事で入ってそこに置いたんですが、
数十年経ておじぃが無くなった時に今の住職さんにお願いしたんです。
で、墓開けてみたらいきなりおじき(笑)
「えー、何で火葬の人が汁場に置いてあるかねー!!」
おじきの時のユタの暴挙で壺の位置総ざらい替えさせられた経緯を話す。
親族総出でもう一度配置し直したのでゴザイマス。。。。

で、一番大きなラスボス感満載のご先祖様の壺登場。
これは蓋。


大きくて重いのでやっとこさ表に出る。

金城家、ここに降臨。

蓋します。

沖縄の墓の入り口は全部コンクリか漆喰で出来ているので
重くてかなりの労力です。

この葬儀屋の方から伺った話。
実は沖縄以外にも土葬の墓地は存在します、山梨県に。
それはイスラム教徒の土葬墓地。
イスラムは火葬が禁忌なので教徒の為の墓地があるようですが
そこももう満杯で現在困っているようです。へぇ。
「実はスマトラ沖地震の時のご遺体の火葬の際にそれが問題になりました」
東南アジア特有の気候と大量の死者。
腐敗もすぐに進行してしまうので病疫や感染病の蔓延の阻止が絶対。
その判断で集団火葬という措置をとったようですが
それがイスラム圏の猛烈な怒りを買ったようです。
良くも悪くもそういうトコ、イスラム教って頑固だからなぁ(苦笑)

あともう一つ。
遺骨って細かく粉砕して「粉」になった時点で
人体という概念ではなくなるそうです。
そうなれば手元に持ち続けるのも撒くのも自由だそうです。
要は死体遺棄にはならないんだそうで。
ただ、撒くには誰のものでもない場所である事というのが法律であり、
そうなると海や川、湖という事になるんだそう。
「父さん山が好きだったから」で山に撒くのはちょっと厳しいようです。
何故なら「台地」はほぼどこもかしこも誰かの所有地だから。
なるほどね、死体遺棄にはならんが不法投棄になるのか(笑)
自分の所有権の山なら問題ないそうです。
まぁそうなると「水」ってのが無難なようで。
「じゃあ羽田空港とかはいいんすかね?」
「あれは国土交通省の国の土地ですからね、いいとは思いますけど
滑走路で踏まれてジェットで飛ばされて故人も嬉しくないと思いますよw」
なんか勉強になりました(笑)

大きくて装飾も多くて凄そうな壺ですが住職曰く
「これは登川(地名)特有の土器の壺で素焼きだからさー、
実はそんなに価値はないさー」




で、このラスボスのご先祖様の壺、どーしてこんなに大きいかと言うと
亡くなったら夫婦で一緒に納骨してくれという遺言だったからだそうで。

ご先祖様、結構ラブラブだったんかいな(笑)
何か眺めてて頭の中で映画TRUE ROMANCEのエンディングのあの曲流れてきたわ。
未だ琉球王国だった頃のご先祖様ご夫婦のお骨眺めて
その子孫の脳内BGMでTRUE ROMANCE。
何だかほっこりするエピソードだわ。



で、そのまましゃれこうべさんでは考古学者でない限り機内持ち込みNG。
まぁそうだわな(笑)
という事で行政の法律に従って火葬場へ。
リアルタイムでお亡くなりになられた方々とは違い我々は平服で暗い雰囲気も無い。
何だかそっちの方々に申し訳なくなってくる(苦笑)
「でも葬式だからって湿っぽく送り出すって決まってるワケでもないっすよね?」
「南部アメリカの黒人の音楽葬みたいな感じでもいいんだよね」
「ええ、そうですね。まさにその家の自由だと思います。
でも一つ付け加えるとあの南部の音楽葬は死への価値観が違う事から明るいんです。
生きてる事が地獄の様に辛いという南部黒人のバックグラウンドがあるので
あのジャズ葬はむしろ死んで地獄から解放されて良かったね、という
或る種皮肉にも近い絶望から来るあの明るさではあるんですよね」
この葬儀屋さん、やっぱ博学で訊いてて凄く面白い。


あれ?既に火葬されたおじきとおじぃも火葬?
一瞬頭の中で混乱する。

斎場の人。
「沖縄の火葬は火力弱めなのよ。今でも墓大きいから壺も大きいのね。
でも内地の墓の壺のサイズにするにはもう少し焼いて砕けるようにしないと
このままでは硬くて無理なワケさー」
なるほど、ディープな事情ありがとうございます。
おじぃとおじき、都合によりもう1回窯にイン(苦笑)

ご先祖様、集団火葬。
こっちはもう完全に考古学。


「これ、触っても大丈夫ですかね?」
何故だかそんな言葉をふと言ってしまった。
「えぇ、大丈夫ですよ。考え方によってはご子孫と直に触れ合えるんですから
こちらのご先祖様もそれは嬉しいと思いますよ」

ちょっとこの火葬場の方の言葉には強い感銘を受けた。

火葬の文化では絶対出来ない事。
当時の誰だか理解んないネアンデルタール人とかの骨とかではなくて
正真正銘自分のルーツであるご先祖様そのもののお骨に触れる。
時を経て触れ合う事が出来るなんて、考え方変えれば早々ある話ではない。
これは他の人には先ず出来ない素晴らしい触れ合いをワタシはしてるのかもしれない。

この投稿で敢えて掲載しようと思ったのは
この火葬場の方のこのお言葉からです。
これを、死を忌避するのではなく受け入れて接する。
土葬の琉球だったからこうしてご先祖様と直接触れ合えている。
この体験は素晴らしいものであると、そう思ったからです。
体験終わってここの投稿の書き込みが明るいニュアンスで描写してるのも
そういう意味合いからなんです。

ご先祖様、天地ひっくり返って置かれていたけど
何か理由あるのかもしれないと思いそのままにしといた。
何歳で亡くなられたのか不明だけど意外と歯が残っていらっしゃった。
2本深刻な虫歯があったけど(笑)

そうだね、考え方によっては時を超えてこうしてご先祖様に直接触れる。
やっぱり不思議な体験だったけど、凄く素敵な体験だったと思う。

とはいえ、ワタシがしゃれこうべさんだったとしたら
「子孫よ、だからと言って尾てい骨とか頭蓋骨の裏側とかは止めぃ」
とは思うかな(笑)
先ずは腕から触れさせて戴きます、ご先祖様。




それでは荼毘に服します。
貴重な触れ合いの時間でした。



最近は沖縄も区画整理したいらしく新しく亀甲墓造るのはダメだそうです。
というか沖縄は民家の隣にいきなり墓とか当たり前だからね(笑)
墓だけじゃねぇな、民家の隣にいきなり赤線とかも普通だしなw
で、よく見かける街道沿いの古いお墓。
あれ、道路拡張とか公園整備とかで立ち退いてもらえないか、となった瞬間
お金かけて墓塗り直したり整備したりする人も多いんだそう。
ま、あれですよ。立ち退き金目当てですよ(苦笑)
金になると理解った瞬間から急に整備して露骨に綺麗にし始める。
「これも沖縄の困った問題さー」とは住職さんの談。

で、斎場の近くに最近はこうして集団墓地が造られているそうです。
亀甲墓ではありませんが相変わらずデカいです。
ここだけは譲らないんだ、しまんちゅwww

火葬場の前のタンクローリー。
あれだね、畑の飼料ここに備蓄してるんだね。

お、おぅ。。。
その飼料戴いて鉄板から生えてる植物(笑)
何か生きるという力みたいなモンを感じた。
本能的な何かなだけなんだよね。
「意味なんかねぇよ、生きるってそれだけだよ。文句あっか!」
葉っぱにそう言われた。

こうして全てのご先祖様の火葬、無事終了。



では東京のお墓へとご案内しますね、ご先祖様。
移動していきなり零下の雪降る東京でホントすみません(苦笑)