2018年2月8日木曜日

コザ・吉原。

 3日目のこの日、大通り挟んで道向かいに存在していた吉原に入った。

 この地区は元々米軍の産廃処理場があった。
じきに「需要」があった為にここに暗黙で赤線が出現、
すぐにこの丘、吉原に一大赤線地帯が乱立し始めた。

 当初はそんな意味では米兵、とりわけ白人兵のみが対象。
黒人兵は先に紹介した照屋地区をその対象としていた。

 だが、おかげさまでコザ十字路で白人と黒人が接触し合う事になり、
酒やドラッグでテンションの高くなっている両者はまぁ当たり前の様に喧嘩になる。
っちゅうワケで金曜と土曜の夜はFuck叫ぶ声と走り回る音、
ビンを割る音と殴る蹴るの音、そして悲鳴。
まぁ危なくて表に出られんかったのが現状でした。
「えー、くろんぼーとしろんぼーがまた暴れてるさー」
これ、沖縄のコザのおじぃとおばぁ達の誰もが言った事ある口癖(苦笑)

 翌日の朝は道中に転がってるビールの缶・ビン。
リポビタンDの無数の小瓶。何かの錠剤の包装紙。
(ドラッグ買う金無い米兵はリポDダースで飲み干してから酒呑んでた。
今でいうところのレッドブル致死量ギリ飲んで酒呑んでるようなものw)
そしてスージに血糊。
コザ十字路のデフォルト(苦笑)

 暴れ回る度にMPが出動した。
あまりの出動回数に米軍もうんざりしてきたのだろう。
じきに白人専用の宿は胡屋の前へと移っていった。
というかまぁ胡屋は胡屋で前から赤線あったんだけどね。
ってか赤線だらけだよね沖縄(苦笑)
ここはその頃から日本人相手の赤線地帯へと変貌していった。

 先に紹介した真栄原の壊滅作戦以降、娼婦らはここへと流れてきた。
そう、壊滅作戦したところで需要が減ったワケではないのだ。
男側の事情も、女側の事情もどちらもひっくるめて。

 だが女性権利団体はそれに気付くとここにも容赦はなかった。
その後の復興策も何も無しでここを徹底的に潰しにかかった。
その手口は真栄原と全く同じ。
ビラと練り歩きで罵声浴びせる人格全否定作戦。
因みに何故2009年以降に壊滅作戦がいきなり行われたのか。
この時何が日本に起こったのか思い出してみてくださいまし。

日本で初めて民主党が政権第1党になった記念すべき年だったんですねー。
良いところもあれど悪いところもあった自民党政権時代の「談合」「なぁなぁ」、
これが政権交代で一気にメッタ斬りに遭ったっちゅうワケです。
「2位じゃダメなんですか」な集団がこぞって壊滅作戦に来たっちゅうワケですw

 結果、この吉原もぐぅの音に屈した。

 権利団体はせいせいしただろうが
この街はおかげさまでこの廃墟っぷりだ。
2位じゃダメなんですか、もとい社交街じゃダメなんですかと言いたいわ。

 当たり前だがこんな場所は子供時代には入ってはいけない場所だった。
でも子供ってそういうトコ、興味あるじゃん(笑)
悪ガキだったサダオとかタモツ君とかジュン兄ぃに連れられてよく徘徊してたw
マサトは根がまじめだったから誘っても絶対行かなかったなぁ。
まぁ所詮ガキだったから昼ね。夜入る度胸は無いwww
でも昼でもランジェリー姿のねーねーがいっぱいいるからさ、
ガキには刺激強過ぎウィルキンソンな街だった(笑)
だいたいそのねーねー達に
「えーわらばー、ここ入って来ちゃダメさー。帰りー」言われた。
ちょっと高学年になるとそれでも無視して徘徊するようになって
そうすると怖いおっさんが代役で出て来て
ワタシらガキんちょ集団は脱兎の如く道向こうに逃げ帰ったw

 あとね、エイサー。
あれの時だけは青年団も見物人もここ堂々と入れるんだよね。
元々エイサーは地元の町内練り歩くのが基本なので
この時とばかりにエイサーの「にぃにぃ」達はここへと入って行くんだよね。
勿論祝い事なのでその後ろをガキ共も安心してついていけるワケ、
屋上から眺めたら夜真っPINKだったエロタウン、吉原に(笑)
スケスケのネグリジェ姿の「ねーねー」とか
凄ぇエッチなガーターベルト姿の「ねーねー」らの前で演じるエイサー。
街のネオンがピンク一色の中で威風堂々演じられてるエイサー。
もうね、18禁の千と千尋の神隠しだったよマジで。
普段あんなカッコ良かったのにこの街で演じるエイサーのにーにー達だけは
鼻の下伸びててめっちゃダサかったwww

 沖縄は貧困の差も激しく、賃金も内地に比べると安い。
なのに90年代以降大手スーパーチェーンやコンビニがどんどんやって来た。
おかげさまで今まであんま入手出来なかったものがいっぱい入って来た。
ウチだけかもしれんが刺身をわさび醤油で食べるとかしてこなかったもんな。
わさびは正直沖縄ではあんま流通してなかったと思う。
皆刺身は酢味噌で食ったんだよ。
わかんない、もしかしたら魚豊富な南部とかは昔からあったかもしれん。
でも海に面してない(島のクセにこういう表現する、うちなんはw)からか
中部では酢味噌が結構ポピュラーだったのね。

 大手が流入してきて便利にはなったが
食品等の価格が内地のままだった。
ぶっちゃけこれで貧困の差が一気に出た感じがする。

 特に職の無い沖縄。
学歴が無い・大家族で食いぶちに困ってるといった貧困層は
自ずと赤線で身体を売る仕事をするようになるのは
成るべくして成った感がある。
教育水準全国最下位、結婚・離婚率全国トップ、
シングルマザー率もトップクラス、
でもってこのざまの売春大国。
恋もメイクラブもセックスも考え無しに開放的なこの実情。
無論田舎は凄く素朴で純粋で清らか。
でも島の都市部行けばだいたいこのスラムっぷり。
観ないフリして棚上げしてるだけにしか見えない沖縄の裏の顔。

 2000年以降、ここにも大きな変化があった。
立ちんぼらがどこ見回しても若い娘が増えたのだ。

 ここも真栄原同様、24時間眠らない街だった。
10年前の潜入レポではドアのアップ写真1枚撮るのがやっとだった。
それ位昼でも売りのお嬢がそこかしこに立っていたからね。
沖縄の大学に入った内地の子らが売り始めたんだ。
理由は何とも単純。沖縄のバイト代が異様に安いから。
内地の額知ってる娘らは生活の質を落とす方向はもう考えられなかった。
遠い島だから「旅の恥はかき捨て」ってのもあったんだろう。
バブル崩壊して親の仕送りがリッチではなかったのも理由かもしれない。
その娘らは自らの自由意思でここに立っていた。
ないちゃーの娘半分、離島や過疎地のしまんちゅ半分という図式。

 ワタシもあの頃それ訊いた時は驚きを覚えた。
うちなんや離島出身で自由意志とはいえ「売り」をするのとは次元の違う理由。
あまりにカジュアルにされている「売り」に戸惑ったのを憶えている。
この街に立つ女性の理由も時代と共に変貌しているものだと知った。

 だがここも壊滅させられた。
男にも女にもそれぞれの色んな事情があれど
需要は双方共にあった場所だったのだが
クリーン作戦という名目の元、
その「根源」や「背景」を追求する事はなく「形」だけが矢面で潰された。


 今思うとここに立ってた昔のねーねー達は皆気高くも見えた。
まぁ仕事中だからね、色々あれど自分を高く魅せなければならないからね。
でも何かそれとは違う理由もあった気がする。

 「身体は売ってるけど心は売ってない」
こういう現実理解できない人には全く解せない感覚かもしれないけど
ワタシにはそうも見えたんだ。
全然伝わらないかもしれなけど。
それすら感じ無くなった晩年の吉原にはワタシも戸惑いしか感じなかった。


 実はこの街、今でも僅かではあるが生きている。

 多くは普通のスナックとしてだったり本番無しの風俗という形で。

 当たり前だけどこういう場所の潜入時はヘッドホンで音楽とは聴かない。
それは五感研ぎ澄ましておかないと自分の身に危険が生じる可能性があるから。
シャッター切ってる間も耳は四方八方聞き耳立ててるから
1時間も徘徊するとかなりぐったりする。
真栄原で追いかけられた後だから尚更、だw


 この辺はもしかしたら夜はまだ営業してるのかもしれない。
でもだとしても夜は写真は撮れない。
本番は無しであろうが写真指名システムでは無いみたいだから嬢が表に立つ。
仕事中の嬢が写る被写体だけは失礼な話だ。
だから夜はこの街はまだ撮れない。




 カフェーと書かれているのは間違いなく赤線。
要はカフェを装ったワケだ。
戦後こういう擬態が横行したものだから
本当に珈琲を出す店は困って仕方なく「純喫茶」と書くようになった。
これが戦後のどさくさの日本の歴史なんだよね。

 ここは今ではしっかりスナックやってるみたいだね。




 この扉の前にずらりと女性が春を売る為に立っていたんだ。

 観たくない人も多いかもしれないけど
これもまた戦後の日本の闇の歴史でもあるんだ。
というか多分全世界にある闇でもあるんだ。

 沖縄特有のスージにまでドアとお店がびっしり。
この辺の店は流石に奥まって暗いから
正直年齢が厳しいお嬢(?)とかが立ってた気がする。
暗がりを武器にそれでも闘っていたんだね(笑)

この辺のガラスサッシの店は晩年のスタイルの店。
奥のドアとこのサッシの間に嬢が座っていた。
エアコン効いてるから快適だったんだと思う。
アルミドアの古い店の嬢は昼の営業中は炎天下に晒されていたし(苦笑)

 こちらは壊滅してまだ浅いからか
或いはコザに魅力がもう無いからなのか
不法滞在の外国人とかは皆無だった。



真栄原とくらべれば荒らされた景色は少ない。
まだ時が止まったままの状態に近い。





 ここも形態は不明だけどまだ生きてる感じがする。

 密集率は真栄原の方が上だったが
面積的な規模ではここ吉原の方が上だった。

一巡した。
尾行もない。不審な視線を投げかけられる事もなかった。
かろうじて安全は確保できそうなのでもう一度トライする。
多分、というか次来れる時があってもここは絶対消滅している。
だから執拗に追う事にする。

 時が止まったままのようではあるが
廃墟と化した街はどこもこういう目に遭う。
こうして更に荒れていく。



 街の奥に一人の女性が表に座っていた。
年齢にして30後半から40いかない位。小綺麗な美人。
格好はスキニーなデニムにパーカーといたって普通の装い。
「お兄さんは取材か何かで来たの?どっかの雑誌の人ね?観光客?」
声を掛けられた。

 暫し一緒に煙草を吹かして事情を話した。
道向こうの越来の家を離れる事、亀甲墓を整理しに来た事。
だから最後にコザを隈なく歩いて撮り収めている事。

 こんな場所にも飯屋があるんだ。
「そーよー、ここのお嬢達がそこで食べてたからねー」
「なるほどね」
「あとはここ下ったところのあの食堂さー」
「あー、丸長食堂ねー」
「えー、やっぱ地元だから詳しいねー、お兄さん」
「昔十字路にあったモスバーガーも珍しく24時間でしたものね」
「あの頃も知ってるんだー、あったねーモスバーガーのビル」

 「実はさー、からかいだったらお茶出す振りしてあっち系電話しようと思ってたさ」
ま、まじですか。。。。
「でも地元の人しか知らない昔の話とかお兄さんからいっぱい出てきたからさー、
これは冷やかしではないと思ったから裏行かないでここで話してるのね」
き、恐縮です。
正直ちょっと冷や汗かいた。

 「お姉さんはここ住んでるんすか?」
「えー、ここ家だからね。昼の仕事無い時はこうして座ってるワケよー」
へぇ。
・・・・・・・はい?

 そういう形態の店でしかないところは軒並み潰れた。
でも密かにまだあったのか。
時折走り回ってる徐行の車、もしかしたらこれ求めてるのか。
それに正直驚いた。

 「その気ならいいよー。昔と違って時間制限もないさー。」
そう、自宅なら文句ないだろという展開らしい。
話を訊くに、表に座ってたら互いに一瞬で恋に落ちた。
大人の男と女ならその瞬間に合体する事だってあるだろ。
で、自由恋愛で部屋に行ってイチャイチャする。
恋愛だから時間制限とかそんな設定はない。
だけど事後におこずかいをもらう。
なんてこったい(苦笑)

 「えー、お兄さんが望むなら部屋でエッチなランジェリーにも着替えるよー」
ごめん、そういう話ではないw
多分お姉さんはここに住んではいない。これはウソだろう。
要はそれを装っているだけだ。
幾ら嬢とはいえ実家(住処)では仕事しないだろう。
何となくそう感じた。
こっちの話ここまで汲んでくれているので悪い展開には転がらないだろうが
これ以上のコンタクトはご勘弁したい。
この街がまだ「生きている」と判った時点からヤバイという勘が芽生えてくる。
呑気にオープンカードで身の上話したワタシに対して
お姉さんもオープンカードでビジネスを切り出してきた。
意表をつかれたこのゲームにワタシの方が完全にたじろいでいる。

 限りある時間の中撮り歩かねばならないという理由を掲げ
お姉さんのプライドを折らぬよう丁寧にお断りをする。
「そうねー、しっかり撮らなきゃだものねー。」
「何か色々お話訊いた上ですみません」
「いーさー。ならばお兄ちゃんの目でちゃんと撮っておきなねー」
良い人なんだとは思う。
だが早めにここを出た方がいい。

 お姉さんが近くのおっさんも呼んで事情を話し始めた。
「えー、この子城前町出身だってさー。沖縄離れるから最後に写真撮ってるって」
何故おっさん呼んだのかも自分には冷静に判断する能力が薄れていていちいち怖い。
「そーかー、そういう事情ならしっかり撮っておくがいいさー」
同じ街の写真収めるのに何がダメで何がOKなのかはイマイチ理解らない。
っていうか実家の借家の金髪のお兄さんに続き
こっちのお姉さんにも「この子」って言われた(´;ω;`)
多分、というか絶対ワタシの方がお姉さんより年上だと思うんだけどね。。。。


正直勘が「もう出た方がいい」と囁いていた。
だけど最後だからという執念が勝ってしまい、
 そのおっちゃんとお姉さんの名前訊いて結局潜入を続けた。
他の誰かに呼び止められたらこの名前言えばいいよ、って。
おっさんの方は直感で使えなそうと思ったが(使ったら地雷だと何故かそう感じた)
お姉さんのは多分凄い効果ありそうだ(何でそう思ったのかは自分でも理解らん)。
だって、ワタシより「お姉さん」だしw
ただ、一度生まれた「恐怖心」「猜疑心」、
これが邪魔して背後が気になってあんまりファインダーに集中出来なくなっていた。

後で調べて愕然とした事がある。
「こんな場所にも飯屋あったんだ」
「そーよー、お嬢達が食事してたんよー」
あの飯屋、壊滅作戦後に出来たものだった。
要はワタシ、試されていたんだと思う。
あの時のやりとりをもう少し詳しく書くと、
煙草吹かしながら途切れた会話ついでにワタシが辺りを見渡す。
その飯屋に気付く。
で、お姉さんが「あれー、あそこの店知ってるのー?」
それにワタシが「いいえ、こんな場所にも飯屋があったんだ」
知ってると答えたらこいつ地元民認定から外された可能性があるっぽい。
知らんモンは知らんので知ったかもクソもないんだが、
東京戻ってもう数日も立っているのにこれ知って足がすくんでもうた。。。。

でもその後はこの猫としか遭遇しなかった。
だからおっさんとお姉さんの名前の「効力」、わからずじまい。
危機を感じて弱っていた自分の判断力の結果は答えが出ぬままに終わる。

仕方なく冷静さを取り戻さんと一度吉原を突き抜けて民家へと出る。


足を引きずりながら深呼吸を繰り返す。
いずれにしてももう一度向こうに行かなければならないので
大きく迂回して吉原の反対側の丘の上通って脱出しよう。



 とはいえおかげさまで微に入り際に渡って撮るだけでなく
「街」とコンタクトするという貴重な体験までさせて頂いた。
勿論したいとはこれっぽっちも思ってはいなかったのだけど。
これは或る意味感謝するしかないな。
真栄原ほどのわやくちゃなエピソードにはならなかった吉原。
でもこっちの方が凄く張り詰めた息苦しいテンションが漂っていた。
道挟んで向こうっていう所以がなかったのであれば
多分その漂う空気でとっくのとうに「おいとま」してたと思う。
でも残念ながらこの地には思い入れが沢山あるのだ。
はちゃめちゃな展開こそなく静かに時間は流れたが
何というか、お姉さんのフィルターを通してこの街と会話した。
それは足が震えるような、全身の毛穴が開く興奮を覚える様な
空気になって街を撮っていたワタシを見透かしてきたような
凄く喉の乾く感覚をつきつけてきた。




 そしてここもやっぱりゴミの山。
皮肉にも元が米軍の産廃処理場だったから
本来の姿に戻ってるだけなのかもしれないけど。
この上は行かなかった。あのガン付けの車に直感でヤバい匂い感じたから。
街が撮り歩いているワタシを認識し始めている、と思った時点で
完全に心の中が恐怖感で支配されているみたいだ。
執念で撮影したいのは山々だが、直感は大事にした方がいい。
そろそろ退散する事にする。


 人の気配がする場所はカメラ構えず隠し撮りで済ます。
流石にこれ以上絡まれるのは危険だし御免だ。


 もう完全に廃墟になってしまっている吉原の表玄関の宿集落。

 少女。
もうこの時点で風営法アウトだろw

流石に撮影終えてぐったりと疲れた。
でも絶対にこの闇の部分を撮り収めておきたかった。
まだ少し生きてる街だから危険は真栄原とは比べ物にならないと思う。
不思議な「縁」でここを乗り切れた事には今となっては感謝したい。

身も心もかなり疲れた。
理解ってはいたがこの街は色眼鏡で観てる分には気楽なモンだが
真剣にサシで向かい合うと重過ぎてうんざりする。
少し痛い足も休めてやりたい。
社交街巡りはちょっと休憩して伊計島にでも行こうか。。。。