2013年12月14日土曜日

ホットロッドショー ウチ編。

今年はウチも出そうか、という話になり(きっかけはこんちゃん)
何だかんだ4台出してみました。
といっても2台はリメイク、ワタシのはもう3年前に塗り替えてそのまま、
初お目見えは1台だけっちゅう話です。

先ず1台目。
ジーザス河内氏の1953年VINCENT COMET。

これは2009年に出した時のね。
これを今一度リメイクしてみようというコトで。
この時は赤フレークにシャドウでロゴ入れてというペイントだったんですけど
何ていうか、もっとこの車体に合った手法取りたいな、となり

それならば最初期のシリーズAっぽくして
こういうの昔あったんだよ風にしてみればどうか、と。

黒に拘り過ぎてた前回よりもっと開き直って
シリーズAっぽくサイドをステンレス調でペイントしてマルーンで塗り分け。
この方が以前やったハンダ引きの波型も強調されたっぽいですね。

タンクパッドは戦前のVELOCETTE KSSに装着されるヤツ。
ニーグリップせんという形状が凄く独特なヤツでございます。
SUPREMEの木谷氏の所有するKSS塗った過去の記憶から
「あ、あのパッドいいなぁ」となり氏に℡、
流石は木谷氏、即答で「在庫持ってるよ~」となり
あてがってみたらいい感じにドンピシャ(笑)

タンク上のトランスファーも最初期のシリーズAのものをチョイス。
が、ワタシはもうトランスファーを信用していないので
それを日本で複製してデカールにして使いましたw

こうして4年経てリメイクされたシリーズA風フラットタンカー。

車体とのマッチングは完成を達成したように思います。

会場でご覧になった方々はこの車体が元々あったオリジナル個体だと
そう思った方もいるかもしれません。
もしそう観えたのであればワタシとしては成功です。
歴史のでっち上げ、成功です(笑)

何だか神々しくすら観えてきます。。。。

これもまた妄想ストーリー全開カスタム、といって良いでしょう。


何でもかんでも派手に塗ればいいというワケではない。
それを改めて教えてくれた1台となりました。
半分レストアペイントを生業としているウチっぽいといえばウチっぽいですw


今回ウチらも出そうか、というきっかけになったこんちゃんのエンフィ。
以前2009年に出した時からすると全く面影がございません(笑)

もうこれがどこに向かっているのかはこんちゃん本人にしか観えてません。
でもこういうのを本来のカスタムというのかもしれません。

世間に「バカぢゃねぇの⁉」といわれたまさかのコフィン逆付から始まり
あの頃妄想設定したインドのエンフィがソルトレイクに持ち込んで
メーカーでスピードアタックマシン造ったらこんなんじゃね?が
今ではスチームパンク風になってしまいました(笑)

インドのガルーダ・スピードは目指すべき模倣の車種を
よりによってアエルマッキのCHIMERAに設定してしまったようです。
これをインド人が造るとスチームパンクになるようです。

リアフェンダー・タンク下のシュラウド・バッテリーケースを製作したのはツネちゃん。
流石の造り込みにニッケルメッキで経年変化の風合いを今後愉しみます。

フロントフェンダーはエキモのケンタが製作担当。
これをタンク同様こちらもステンレス風にペイントして
インド人仕事風に思い切った子持ちライン入れてそれっぽく。
ジーザスのVINCENTのタンクよりちょいと白っぽくしたのは
アジアの、特にタイで走り回ってるトゥクトゥクっぽくしたかったから。
良い意味でチープなアジアのイメージにしたかったのです。

何かこの角度、探査船に急に近付いて来た深海魚みたいです。
6000mの世界にコンニチハ♪
因みにこのフェンダー裏にキチンとトランスファー貼ってあるのは
どうせ気付かないでしょうけどこれで純正だ装う気取りだからです。
そして誰一人気付いていないと思います。
こんちゃんはこれからもエキセントリックな我が道行くんだと思います。

今回初お目見えなのはおじちゃんのCB72改77。
とはいっても外観はオールペンしただけです。

おじちゃん、公道を走れるバイクの免許を取得したのはまだ1年ちょいです。
初めて手に入れたのがこの72だったんですが、
どういうワケだか行く先々でやおら声掛けられるんです。
高速のSAでトイレ行って帰ってきたら知らない人が立ってて
「これ、72でしょ?懐かしいねェ。昔俺も乗ってたよ」
ガソリンスタンドで給油してたら知らない人が寄ってきて
「これ、72?懐かしいねェ。俺も昔云々」
行く先で少しの会話はまぁ愉しいものなんですけど、
この昔乗ってた(今乗ってない)人の話って、確かにちょっと面倒ではあります。
バイク乗り同士で会話する時って
「これからどこまで向かうんですか?」とか
ナンバー観て「東京からですか?」とか
せいぜい「そのバイク、調子はどうです?」とか
軽く交して互いにご無事で、ってそんな感じが多いのですが
この昔乗ってた(今乗ってない)人ってのは自分の昔話なだけで
正直訊いてて「だからどうした」な事が多いんですよね、しかも無駄に長い(笑)

そんな数々の中で「これ、いつから乗ってるの?」の質問に対しおじちゃん、
「いやぁ、初めてのバイクなんですわ」と答える。
うん、ウソは何も付いてない。
しかしおじちゃんの妙齢から相手がビビるケースが多いんですね。
「ぅおっ!!バイク歴40年近いベテランじゃあねぇか!!」って(笑)
この話が面白くて、それをコンセプトで塗っちゃおうか、とw

おじちゃん若かりし頃、カミナリ族として走り回ってた愛機、72。
(実際は免許取得してまだ1年ちょっとです)
大和魂背負って舗装の粗かった頃の国道で風を切って疾走し
その魂はサイドカバーに旭日旗として表していた。
(この72改77は手に入れてからまだ1年足らずです)

いつしかおじちゃんも落ち着き結婚。
一家の大黒柱として仕事に勤しみ、昔のプライドは恥ずかしくもあり、
上からシルバーで塗って元の赤72へと戻してたまに対峙していた。
(結婚と娘2人がいるのは本当です)
自家塗装で覆った旭日旗も年月と共に褪せていき、
再びその姿を表に表してきたが、妙齢に達したおじちゃんは
「是もまた我が人生也」と
そのままにして72と共に生きた証としてこれからも歩むのです。
(何度も言いますがおじちゃんは免許取得して1年ちょっとです)

もうこれで自慢話したいだけのおっさんは寄って来ないでしょう(笑)
しかしこれもまたウチっぽい妄想ストーリー全開カスタムなのです。
でもこの東京オトキチ倶楽部のデカールだけは禁断の領域だと思い、
エアブラシと筆で描いたのですが
フォントをオリジナルとは違うものにしています。
妄想とはいえこれ以上はワタシがビビりますw

因みに72を77に載せ替えたのはよこっつ
勿論満足なパーツ供給も無い今では相当苦労したようで
何機もエンヂンやらシリンダーやら買ってはマシなパーツ使用して
終わってみれば77買える様な金額になっちゃったようです。
おじちゃん、何で最初から77買わなかったの?


でまぁ最後はワタシのBITCHも。
ワタシと同い年の1972年製。
「オレのはもういいよ」と言ったのに
魚肉クルーがわざわざ引っ張り出してきた(苦笑)
これは実はそんなに妄想ストーリー、無い。
単にワタシが中南米・アフリカ好きだっちゅう話。そんだけ(笑)
敢えて言えばUSテイストのショーに日本人ビルダーが
イタリアンの車体に落とし込んだ中南米・アフリカ。
要するに意味不明、全開w

これ初めて出したの2006年だったから、もう7年になるんだね。
あの頃とはカラーリング違うけど、本来こうするつもりだったんだ。
フレークの「引け」を待ってただけ。
無駄に5年近く待っちゃったけどね、忙しくて(笑)

7年の間にまぁ色々あったなぁ。
サーキット走行でブン回し過ぎてビッグエンドおしゃかにしちゃったり
あちこち「走る」本質の為にモディファイ続けてきたし
それ以上にあちこち振動で破断するから修繕ずっとやってるし(苦笑)
シートももうくたびれてほつれてきちゃったんだけど
Ryozzy君と最初にやったコラボだから、何だかやり直しに躊躇しちゃうんだよね。

「Muneさん!!ドカにお祈り捧げないと!!」
こんちゃんとジーザスが祈祷を始めた。
森クンのそれは祈祷ではなく説法説いてるスタイルじゃんかw

そういえばそうだったね。
このドカ、シャーマンの呪いが凄そうだからって
毎回サーキット走行の前に皆で祈ってたっけね(笑)


徐々にご利益求めて信者も増えていったっけね(笑)

ここまで突っ伏してお祈り捧げても
このBITCHはビックエンド壊れやがったけどね。
しょうがねぇ、イタリア語しか通じないからねw
ビッチの言葉理解しようとしなかったワタシがいけない。

ようし、久々に俺もお祈りするか♪
Yossie、観てるか~?
俺達は今でもおバカやってるぞ♪


「Muneさん、モヒカン頭が露出過多なんで日陰に移動してもらえます?」


2度もお祈りさせられた。。。。。






そんなウチのロッドショー車体レポート。