2011年2月14日月曜日

初作品。

今週末もお客さんがいっぱいのSHOPでした♪
そして仕上げも何点かあり、
嬉しそうなお顔を拝めるのは
やはり励みとなりますです。





立川ローカルのCLUB「WHEELERS」のメンバー、
のりだーのスポスタタンク。
車体のディメンションをワタシも観て熟知しているので
雰囲気考えて少しクラシカルに。
でもってちょいエレガントに。
今度車体に装着されたら来てくだされ。
のりだー、VMXも待ってるぜ~
期せずしてもう魚肉メンバーとも会ってるから
キミは完膚無きまでに魚肉構成員だw
因みにWHEELERSでLINK貼ったアナタ、
アナタが立川のモーター・シーンを引っ張るのだw

















でもって魚肉トップライダー、
TRの矢部っちのタンクも完成。
彼の車体は日本では珍しいSUZUKIのTM400です。
生粋のレーサーなのでムチャクチャな爆音。
アクセル煽ると車体がビリビリと跳ねます(怖)
そして高圧縮なので始動が重労働。
レーシングスタンドできちんと立てておかないと
キックすら困難。
レース中一度でもコケたら再始動不可ですね、あれ(苦笑)
1974年の車輌で2サイクル単気筒400ccの41馬力、
伊達ではないオーラがビリビリ出ております。



















魚肉の車輌で珍しくタンク上に
TR COMPANYやウチの屋号背負ってます。
あ、同じくウチのエースライダー
別冊MC神山氏のCLも背負ってますね。
エースライダーにはちゃんとスポンサーがつくのですね。
そしてエースライダーはそれを毅然と背負うものなのですね。
「サムライ」とはそういう宿命なのです。
ライダーとSHOPのプライドを一心に乗せて走るのです。
勿論ワタシのエルシノアには屋号描いておりません。
何故ならトップライダーではないからです。
何故ならワタシは「足軽」レベルだからですw
矢部っち、TRとウチを背負ってがんばれ♪
あと神山氏、カブのパーツメッキ加工ありがとう。
おまけになかじ、トランポ期待しとりますw
同じく来店戴いたT田氏、
今週中にはBSA終わらせますね。






















H田様のロードキング、
じっくり着実に進めております。
今週左のパニアも筆入れ終わりました。
これにて筆作業は完了です。
先にキャンディまで終わってる外装は先行で、
こちらのパニアも追ってキャンディ入れていきます。
















当SHOPがOPENして以来、
ペイントだけで考えると一番高額でフルペイントとなる
このロードキング。
ワタシも金額・採算度外視で取り組ませて戴いております。
ここまでのフルグラフィックはそうそう無いでしょうし、
納期も大幅に押しておりますが
H様にも納得戴けたので
ワタシも現在思い切り集中して作業しています。
こちらの車輌は完成がワタシも楽しみでなりません。
SKULL一体ずつテンプレート使用せず
全て描きこんでいるので
デザイン・バランス全てに神経を集中させています。
まだ完成ではありませんが
ここまで終わったのは個人的にも
「やり遂げた」感があります。
あと少し、がんばらせて戴きます。























1月から自分で何とか頑張ってきた息子のTY80。
外装で出来る所は全て成し遂げました。
クリア入れは流石にワタシがやりましたが、
カラーベース吹付け・文字枠・タンク上のライン・
ラインの淵のゴールド筆入れ・タンクロゴのYAMAHAの銅箔、
フレームのバラし足付け・組付け等も息子自身にやらせました。



















足付けでカラーベースのアイボリーの下地が出ちゃったり、
文字枠が自分では巧く切れたつもりでも
いざ黒で塗ってみるとフニャフニャしてて意気消沈してみたり、
ナイフ圧強過ぎてまたまた下地がこんにちはしてみたり、
ピンストライプがプルプル震えてみたり、
銅箔に失敗して3枚重ね位になっちゃって
何だか金属の質感たっぷりになっちゃったりと
色々ありましたが、
ほぼ修正せず続行というスパルタ教育でやってみました(笑)
自分で経験してみる事こそが一番の財産です。
「自らやったんだ」が目的ですから。

稚拙な仕上がりでもこうして2ヶ月頑張った集大成。
嬉しそうに跨っている様子を観て
これを経験値として更に自分を磨けよ、と
父として望みます。
まともに乗る練習にも連れて行ってあげられないのが現状なので
これが親のワタシから出来る精一杯でもありますし、ね。
まぁ言い換えればレースで勝てる技術を
ろくすっぽ教えられないのでこうするしかない、
とも言えますがw



















そして本日お昼過ぎに
我がファミリーではどうにもならない
シートの製作をお願いしに
いつものRyozzy氏のところへ車体ごと持込み。
息子も
「大事なシートだから一緒に行ってリョージさんに
自分もちゃんとお願いしたい」
と同行して一路青梅へ。
「リョージさんなら絶対いいモノ造ってくれるね!!」
と帰路で満足そうでした。
Ryozzy君、頼んます♪





















TYのちょびっと付いてるリアフェンダーに
魚肉のマークを描き入れる。
息子の希望。
因みにこのTY80もウチの屋号は入っていない。
プライドを背負えるライダーではないからだ、ではなく
これは息子が塗った(も同然)だからだ。



















「こんなユルユルな文字入れではウチの屋号は与えられん」
こう言えばカッコもつきそうなものだが
息子の作品だからワタシ一人でやってるSHOPの屋号は違うな、
が本音かもしれない。




かのエンツォ・フェラーリが
息子ディーノが完成させたフェラーリ・ディーノに
跳ね馬のあのエンブレムを与えなかった理由に
「フェラーリは12気筒が正しいのだ。
6気筒のあの車体には名誉が傷つくので跳ね馬の象徴は与えない」
と言うのが建前らしいが、エンツォの本心は
このたった一台を世に出しただけで
若くして筋ジストロフィーでこの世を去ってしまった
愛する息子ディーノの功績に敬意と愛情をこめて
自分の冠である跳ね馬を付けなかった、ともいう。




この話の真意もまぁ定かではないし、
偉大なるフェラーリ一家と
たかが立川の小さなペイント屋を同軸で語るとは
天国のフェラーリ一家にただ謝るだけだが、
親バカとはそういうものなのであろう。
そういう想いではこのエピソードを信じてやまない。
















でもやっぱもう一度謝っておこう。
フェラーリ様、申し訳ございません(笑)